【ジョギングの効果】20年続けて得られたことと分かったこと「経験したことをそのまま公開します」

 

ジョギングを言葉にしてみる

ジョギングについて考えてみた。
世の中のランナーたちに共感してもらいたいことがあるし、かたや、これからジョギングを始めようと思っている人たちにも是非伝えたいことがあるからだ。

ジョギング歴20年

私はジョギングを始めて20年になる。
別に自慢しているわけじゃなく、これは本当に20年やってきたピュアな事実。
20年もやっているのだから、ちょっとくらいはジョギングについて語ってもいい立ち位置にいるだろう。
しかも少しくらいは偉そうに。(とは言っても週末だけのランナーだけど)
だからというわけじゃないけど、「ですます調」ではなく、人生初の「だである調」で綴ってみようと思う。

ジョギング歴●年

ジョギングを始めたときのことは、はっきりと覚えている。
ちょうど20年前の5月頃。
平成●年から、とか、自分が何歳だった年から、と覚えているわけではなく、ただ単に当時子供が1歳だったことを理由もなく覚えているから。
だから、かなり正確に「ジョギングを始めたのは20年前」と言い切れる。
この先も子供の年齢と紐付けるだけで、「ジョギングを始めて27年目です」とか、いつだって端数まできっちりと言い切ることができると思う。

ジョギングと私生活

子供が1歳の時、というか子育て時代は、何だかとても忙しかった。
お出かけ、お世話、買い物、祖父母の訪問、家族ぐるみのご近所付き合い、などなど。
平凡で幸せな毎日なはずなのに、どういうわけか「非凡」に忙殺される毎日。
自分の時間なんてほとんどない。

「平凡な日常は忙しい」ことを身をもって学んだ時期だった。

ジョギングときっかけ

だけどそんな日常にも、たまに何も予定がない日が、本当に稀にだけどある。

  • 私以外のみんなが外出。
  • 家事・洗濯は終了。
  • 荷物が届く予定はない。

そう思った瞬間が、まさに私のジョギング歴の起爆剤だった。

舞い降りるナニモノか

その日その時、突然、何かが舞い降りてきたように、
「よし!走ろう!」
と、まるで視界にそんなフレーズが見えたかのようだった。

  • 何らかの前振りや仕掛けはなかった。
  • 誰かにすすめられていたわけではなかった。
  • ダイエットも運動不足も意識していたわけではなかった。

とにかくその日は「よし!走ろう!」だった。

ジョギングとライフストーリー

だけど考えてみれば、突然そんなことを言い出したなんて、何かに憑依されてたのかと言われそうで気持ちが悪い。
「よし!走ろう!」と思ったからには、その背景にはちゃんとストーリーがあったはずだ。
見えざるシナリオに自分が取り込まれていたことも、今となってはよくわかる。

それがこのエッセイで伝えたいテーマ。

ジョギングと因果応報

結局、走る人は何らかの起爆剤が作動したから走っている。
私の場合も後から考えると、なぜ起爆剤が作動したのか、それが明確だった。

追々そこに触れていこう。

在野なジョギング

良くも悪くも、走ることはストレスがかかる。
走るなんて、ただただ「しんどい」だけだ。
多くの人は、そんなこと、自ら進んでやろうと思わない。
というか、そもそも日常の中で、走ることなんて眼中になく、選択肢としてあり得ない。
せいぜい数年に一回、旅先などで出発間際の電車やバスに手を挙げて、

「待ってぇ〜、乗ります!乗る!乗る!」

といった時くらいなんじゃないかと思う。
オリンピック選手だって、走れば30分の距離にあるトレーニング地までは車で移動して、そしてそこから走り始めるのだから。

走らない本能

車や家電やオンラインサービスなどでラクラク生活が止まらない。
技術が開ける風穴が凄まじいのか。
それとも「ラクラク」の中毒性が薬物的なのか。
どちらにしても、人間はこの先「走らない動物」に向かって一直線だ。
生態をそんな方向に舵切らせるほど、私ら人間は、まぁ平時に走るつもりはない。
せっかく400万年前に二足歩行を手に入れて、進化をブーストさせてきたというのに。

10kmを1時間

で、良くも悪くも、走ることはストレスがかかる。
じゃ、良い点ってなんなんだ。
私は今、それについて私なりに明確に答えることができる。
20年も走ってきたんだから。
でも走ると言ってもペースは早くなくて、10kmを1時間ほどかけて走るユルいペース。
10kmを1時間というと、世界記録の2倍ちょっとのペース。
このペースは多分、市民ランナーなら中の中って感じの、至って庶民的なペース。

そのペースで、20kmをコンスタントに走る。

ノープランジョグ

人によるけど、適切に取り組めば、20kmくらいなら一年もかからずに走れるようになる。
私の場合は、そこに到達するまでには多分5年くらいはかかったかもしれない。
特に練習メニューらしきものも組み立てなかったし、段階ごとの目標なども定めず、思うがまま雑にジョグしてたからパッとしなかったんだと思う。

1kmノックアウト

そもそも初めて走った日は、1周1.2kmの根岸森林公園を周り切ることができなかった。
途中歩いたりして、何とか2周を周ったものの、今の20kmよりも、その時の2周の方が比べ物にならないくらいしんどかった。
その日は爽快すぎる五月晴れの日。
風もなく、花粉のシーズンも終わっていた時期ということもあって、周りのランナー達がとても気持ちよさそうに流していたのとは対照的だった。

そして、根岸森林公園を2周、歩かずに走り切れるようになったのが3ヶ月後くらいだったと思う。

ジョギングと20km

そんなひ弱いスタートだったけど、半年後くらいからはペースも距離もリニアな角度で成長し、5年くらい経った頃には20kmといった道のりだ。

20kmって、

要するになかなかの道のりだ。

ジョギングとフルマラソン

20km以上走ると、実は時間の問題が出てくる。
2時間以上かかるから、何だかんだで半日つぶれることになる。
その兼ね合いで、週末ランナーには20kmランがちょうどいい。

あと、私はマラソン大会には関心がないので、実はフルマラソンなどには出場したことはないのだけれど、20km走れる基礎力があれば、もういつでもフルマラソンを完走できる状態にはあるそうだ。

ジョギングとストレス

話を「良い点」に戻そう。
そうそう、ジョギングをすることで良くも悪くも、ストレスがかかる、という話の「良い点」。
走ることで、強烈なストレスがかかるのは、まぁ間違いない。
20年ジョギングを続けていても、大体5回に一回はイヤイヤシューズを履いているサマだし。

ストイックなストレス

そして本当にハアハアと言いながら走る。
息を切らして、汗だくになって、限界まで体力を絞り出す2時間。
はっきり言ってハアハアとしか言葉を発していないし、その状況に耐えることしか考えることができない。

ジョギングと考え事

たまに、考え事をしながら走ろう、と設定して走り始めることがある。
けど、いつの間にかそんな目的があったことは、どこかに置き忘れ。
結局のところ、ハアハアとしか言ってない。
どこまで考えたのかさえ振り返れない。
寝るときにベッドで考え事を始めた時と同じだ。
結論なんて出たことないし、毎回、考え始めたことさえどっかに行っちゃってる。

からだじゅうに負荷

とにかくそんなハアハアを1〜2時間も続けると、からだ中の全細胞が悲鳴を上げる。
もちろん、極限を迎えるのは脚だけど、ことはそう単純ではない。
ジョギング後は、体幹も、上腕筋も、首筋も、指先までもが結構な悲鳴を上げる。

  • 体幹には、一歩一歩でかかる強烈な体重のGを支え続けるストレスがかかる。
  • 上腕筋には、3Dに揺れる体のバランスを保つために、腕を振り続けるストレスがかかる。
  • 首筋には、ボーリングの球と同じくらいの重さの頭が上下動するのを支え続けるストレスがかかる。しかも頭の重さは15度傾くだけで倍以上の重さの負荷が首にかかると言われている。

まだまだある。

  • 有酸素運動は、脂肪燃焼と共に内臓脂肪や皮下脂肪まで燃やし続ける。
  • 酸素をチャージし続ける肺の活動量は、日常の数倍に及ぶ。
  • 心臓のポンピングも全開。だから身体中に血流が行き渡る。

そんなのがスタートからゴールまでずっと。
だからからだじゅうの全細胞が悲鳴を上げる。

フィジカルへのストレスは「半端ない」。

ストレスの反作用

「だからどうしたの?」と最初は思う。

その答えはこう。

そのフィジカルストレスは、走り終わった後は、今度は落ち着いた普段の状態に「一気に戻ろうとするんだ」。

反作用の反逆

その時、「メンタル部分の」ストレスと、い〜い感じでバランスをとる。
「メンタルストレスも一緒に」落ち着いた状態に戻してくれる働きをするのだ。
嫌なことが、一気に吐き出される。

これこれ。
これがジョギングによってかかる体力的なストレスの良い点。

「ばかやろ〜!」

平日仕事で溜まりに溜まる、不条理極まりない上司の存在、泥沼の人間関係、旧態依然とした保守的組織。
要するに「ばかやろー!!」
・・・と言えないこと続きのメンタルストレス。
肉体面を極限状態に追いやることで、そんなメンタルネガティブを、綺麗サッパリと拭き取ることができる。
フィジカルストレスを与えることで、メンタル面をちょうど良いバランスに中和してくれる。

結果、健康的な「精神状態を」保てることになる。

綺麗サッパリな感覚

部屋を模様替えしたときのような感覚。
新車が納車されたときのような感覚。
新しい下着を身に着けたときのような感覚。

平和的ストレス

走ることで得られるのは、体力維持、健康維持などなどだろうけど、実はその実感はあまり感じられない。
そんなことよりも「健康的なメンタル状態」を保てること、これは確実に実感できる。
走ることによって人に優しくなれ、仕事に前向きになれ、人生を前向きに考えられるようになる。

走ることは平和を呼び込む。

「よし!走ろう!」

だから私は、「よし!走ろう!」と言い始めたんだと、今になって思う。

こうやって理由付けするのは後になってからだけど、自分の心の深いところで、ドロドロと溜まっていた苦しいメンタル病が、綺麗で爽やかなものに変化することをどこかのタイミングで狙っていたんだと思う。

ジョギングのスイッチ

良くも悪くも、走ることはストレスがかかる。
ストレスはかかるけど、その見返りは生き方を綺麗にしてくれるほど、精神面を綺麗にしてくれる。

今はこう思う。
「平凡な日常は忙しい」
「でもそこには、思わぬ扉を開ける起爆装置が隠れている。」

私の場合は、幸いにもそれを踏んで、走ることを覚えてしまった。

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