「走ることについて語るときに僕の語ること」について語ること
「走ることについてだけで1冊のエッセイ本ができてしまうなんて。」
と思って、
「村上春樹か、、そういえば他のエッセイで『遠い太鼓』は面白かったな。」
と思い出して、
「でもこれ、、」
「変なタイトル・・」
と言いながら手に取ったのが最初でした。
そして読んでみたら最後。
描かれた走る世界観に吸い込まれ、今この記事に至っています。
「何が楽しくて走ってんの?」
「単調すぎない?」
「ストイック」
といった疑問を無意識に持っている
「ランナーではない方々」
にこの本を紹介したい。
逆に、
「走ると日常の中に目標と達成感が生まれるよ。」
「フィジカルに負荷をかけると、メンタルストレスとバランスが取れるよ。」
「ジョグによる疲労は、そのあと何倍にもなって肉体の快楽に生まれ変わるよ。」
といってジョギングし続けている「ランナーの方々」にもこの本を紹介したい。
この際、いっそのこと、誰にでもいいから
「走ることを文章にすると、こんな風に表現できるんです!」
と言ってこの本を紹介したい!
健康のためでもなく、体力維持のためでもなく、単なる趣味でもない、でも「走ること」がテーマのこのエッセイ。
少しばかりのネタバレになりますが、この本の一節に以下のくだりがあります。
「小説を書こうと思い立った日時をピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後1時半前後。」
この流れで村上春樹さん、走ることについての記述をどうやってブーストかけていくのか、
読んでいて止まりませんでした。
主には、村上春樹さんの単純でもあり複雑でもある若かりし頃の経験を通して、自由に生きることと規律を守って生きることとの絶妙なラインを語り、同時に、クールで色艶の良い独特の哲学が語られ、そしてもちろん、全てにおいて走ることを背景にして軽快に話が進んでいくのです。
そして走ることについて、散々描きたい放題に描いた後、最後はこうです。
(自分が亡くなったときに)
「もし墓碑銘の文句を自分で選ぶことができるのなら、
村上春樹 作家(そしてランナー)
少なくとも最後まで歩かなかった」
だそうです。
このエッセイ、どんな世界観が描かれているのか、
ちょっと気になりません?